村山浅間神社

富士宮・浅間神社巡り4(村山浅間神社)

2016-09-04 10:07:14 | ・神社・お寺

2016.8.27 「富士山本宮浅間大社」「富知神社」「山宮浅間神社」と参拝し、その後、「村山浅間神社」へ。

こちらにも富士山世界文化遺産観光ガイドボランティアの方がおられましたが、時間があまりなくて遠慮しました。

「村山浅間神社」参道

「村山浅間神社」拝殿

村山浅間神社は、明治の初めまで京都の聖護院を本寺とする修験道の拠点で、「富士山興法寺」と称し、富士修験の中心地であった。

当時の村山の集落は、興法寺の別当である村山三坊の法印を中心に、三坊に属する山伏や門前百姓んどからなる修験集落で、

東西の入口には見付(木戸)が設けられ、集落への出入りが制限されていたという。

明治には、神仏分離令を受けて興法寺は廃され、大日堂と浅間神社は分離された。(パンフより)

拝殿右側には、高嶺総鎮守社「氏神社」

元村山地区の氏神様のようです。時間がなくて行けなかったのですが何か気になる・・・。次回は参拝したいと思います。

境内には銀杏の巨樹が。

推定樹齢300年以上との事ですが、もっと高齢のような気がします。

気根の発達が著しいのが特徴で、総数約70。最大のものは直径30cm、長さ2mに達すると。

この気根を乳房に見立て、母乳の出を願う慣習が各地にあるそうで、この銀杏もそうだったのでしょうね。

境内には他にも巨樹がたくさん。

樹齢1000年の大杉

中心部に長さ8mに及ぶ空洞があるらしく、下部の大枝は支柱で支えられていますが、威風堂々!

赤い祠が印象的です。

浅間神社左側の「富士山興法寺大日堂」

701年「役ノ小角」が勅命により富士山中水精ケ岳より、浅間神社を現在地に奉還された時に建立し、富士山仏化の拠点としたのが

始まりで、久安年中に至り、高僧「末代上人」が村山修験を確立し、大日如来を祭り、登頂活動の拠点とした。京都聖護院の直系寺で

あった。こちら様のブログで大日如来像が見られます。 http://ameblo.jp/yuki8low/entry-11801498449.html

水垢離場

山伏修行(修験者)や富士登拝の道者が垢離をとって身を浄めた所。境内の中段に、間口約6.5m・奥行き約4mの長方形、

深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ、周囲は石積みとなっている。水の落ち口には山伏修行のときの主尊とされる

不動明王の石像が安置されている。

護摩壇

大日堂東側にあり、正面奥に不動明王石像が祀られている。 一辺5.3mの四囲の石組の中に、丸い石組の護摩壇がある。

護摩壇の前には、「于時安政四年九月」の年号と造立者銘が刻まれた石があり、安政四年(1857)に龍宝院などの村山下修験によって

造立されたと推定される。 古絵図から、かつて大棟梁権現社の拝殿にあたる部分と推定される。

というわけで 神仏分離前を垣間見せる神社でした。富士山には神様も仏様も居られるのですね。

富士参詣曼陀羅 垂迹画
[年代] 江戸時代
[作者] 不詳
[所蔵] 富士山本宮浅間大社蔵
[解説] 富士参詣曼陀羅 垂迹画:神仏習合

此の図は、一番下には駿河湾・田子の浦・清見寺がみえる。中間には浅間本宮・中宮社・涌玉池・大日堂が描かれている。

山頂の三峯に座る本地仏は向かって右より菩薩・阿弥陀如来・薬師如来の三尊である。

おわり~

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